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吉村仁さんの時代 「医療費亡国論」と昭和59年の医療保険改革 Ⅱ

昭和59〈1984〉年の医療保険の大改革(健保改正)は、「医療費の増加の抑制」が正面から目的として掲げられ、被用者本人定率負担が導入されるなど、その後の医療保険改革の枠組みをつくったものともいわれています。
改革を厚生省保険局長として牽引した吉村仁氏(昭和5〈1930〉~61〈1986〉年)の、いわゆる「医療費亡国論」をはじめとした言説の今日的な意義を考えていくために、社会保険旬報のバックナンバーで当時をふりかえります。

 

Ⅱ 健保改正前夜の動向(昭和58年)

昭和57年8月に保険局長に就任した吉村氏は、7月の臨調答申(増税なき財政再建)直後の状況で、医療費の抑制・適正化を訴えていきます。
昭和58年に入り、「鬼にも蛇にもなって医療費適正化をやろうと思っている」発言(1月の全国保険・年金課長会議)、いわゆる「医療費亡国論」論文の発表(社会保険旬報3月11日号)があり、その「医療費適正化」論に対する批判も大きくなっていきます。
8月には、被用者本人への定率負担(2割)導入を柱とする医療保険改革(健保改正)の厚生省案が公表されます。「昭和36年の皆保険以来のトータルな改革をねらう」案は、審議会や与党においても議論をよびます。

ここでは、健保改正に向けて議論が本格化した昭和58年の吉村氏の動向を、その発言を中心に、当時のニュースやレポートもまじえ構成しています。

オレンジ色・太字のタイトルをクリック(タップ)すると、その社会保険旬報バックナンバーのPDFファイルが表示されます。

1 医療費適正化を最重点にと吉村保険局長(全国保険・国民年金課長会議詳報) №1421(58.2.11)
P4~P7レコーダ
2 日医が保険局長発言を“糾弾”、厚相の所信を問うと申し入れ  №1421(58.2.11)
P20ニュース
3 市町村レベルでも不正請求断固排除と吉村保険局長(全国国保主管課長会議) №1422(58.2.21)
P20レコーダ
4 編集室 №1425(58.3.21)P42
5 ビタミン剤の薬価削除も検討-吉村保険局長語る、本流は薬価引下げ №1431(58.5.21)
P26ニュース
6 「ビタミン剤の削除できない」-中四国医連で小池日医副会長が強調 №1431(58.5.21)
P27ニュース
7 編集室 №1431(58.5.21)P42
8 保険局長の更迭論出る-「誰かに責任とってもらう」日医副会長挨拶(関西医連総会) №1434(58.6.21)
P20~P21ニュース
9 保険局長発言に思う №1435(58.7.1)
P3時論
10 吉村保険局長の講演と五十嵐会長の挨拶(全国公私病連総会)  №1435(58.7.1)
P14~P17レコーダ
11 53年春を上回る大改革案/自民党社会部会にも不満 №1441(58.9.1)
P4座標
12 医療保険改革の考え方を保険審に示す №1443(58.9.21)
P6~P9動向
13 編集室 №1451(58.12.11)P42
14 編集室 №1452(58.12.21)P36

「吉村仁さんの時代」関連年表

 

吉村仁さんの時代
「医療費亡国論」と昭和59年の医療保険改革    全体構成

解題 「医療費亡国論」を提唱し
医療保険の大改革をなしとげた
吉村仁さんの時代

「社会保険旬報」前編集長  笹川浩一
社会保険旬報No.2687(平成29年9月11日号)
掲載 【一部補正】

 1 「医療費亡国論」の発表まで
【10月25日掲載】
 2 昭和59年改革をめぐる「攻防」
【11月1日掲載】
 3 医療提供体制の改革に向けて
【平成29年11月8日掲載】
足跡・論文・インタビュー 【平成29年9月11日掲載】
 健保改正前夜の動向
(昭和58年)
【平成29年9月19日掲載】
健保改正はこう行われた
(昭和59年)
【平成29年9月27日掲載】
健保改正をめぐる国会審議
(昭和58~59年)
 【平成29年10月4日掲載】
健保改正後の課題
(昭和59年~63年)
【平成29年10月11日掲載】
医業問題研究会論文
(昭和52~55年)
【平成29年11月16日掲載】

アナザーストーリー

幸田次官と国民医療総合対策本部
平成29年11月22日掲載

※平成29年11月25日:一部補正

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