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奥村 圭子(おくむら・けいこ)

最期まで「食べる楽しみ」を望んだ菊さんへの在宅介護支援(奥村圭子)#2

人は介護が必要になると、「望む暮らし」を自由に表現し、実現することが困難になるケースが増えてくる。食べることが難しくなり、胃ろうを勧められたら本人と家族はどうするか? 連載2回目の今回は、「最期まで口から食べる」という生き方を選択した菊さんとその家族への支援を通じて、いのちに向き合うことができた筆者の体験を紹介する。※文中の登場人物は仮名です。

介護が必要になった人の「望む暮らし」を察し、多職種間で共有

老いのある暮らしを続けていると、時に介護を必要とする暮らしに変わることがあります。あるとき突然倒れて入院し、退院したら介護が必要になった、という人も少なくありません。本人も家族も、何が起きたのかわからないままに介護に突入します。

今まで私は、病気や障がい、認知症などによって自由に想いを表現できない要介護高齢者の方々と出逢ってきました。私の在宅介護支援は、そういった方々のご自宅にお邪魔し、ご本人やご家族のふだんの暮らしを「聞く」ところからはじまります。

そこから「望む暮らしは何か?」「いかにして生きたいのか?」「声にしたくない言葉は何か?」を問い、いまの暮らし、そして将来の「望む暮らし」を察します。
食べる支援が必要な方には、「ご本人やご家族にとって、口から食べることで生じる暮らしの変化はどういうことなのか」を確認し、多職種とともに共有します。

「食べる」ことが生きがいの菊さんとの出逢い

今回はそうしたアプローチを通じて、「食べることは生きること」であると教えてくれた、菊さんという女性の話をしたいと思います。

私が菊さんと出逢ったのは、7年前。菊さんは、娘の花さんと二人暮らしでした。当時、菊さんは脳梗塞や誤嚥性肺炎を起こし、入退院を繰り返していました。
何度目かの退院後に、私は介護サービスが必要となった菊さんのケアマネジャーを担当することになりました。
菊さんは、脳梗塞によって、高次脳機能障害や右片上下肢不全麻痺が体に残りました。花さんは仕事を辞め、菊さんの日常生活の介護をするようになりました。

当時の菊さんは言葉も不自由でした。しかし、「食べたい」という意志を体いっぱいで表現します。菊さんが、「口から食べたい」というしっかりした意志を持っていることは、誰もが痛いほどわかっていました。
お昼時間にお宅を訪ねると、花さんの静止する手を振り払い、むせ込みながら必死に食べている菊さんの姿を何度も見ました。
その姿を目にしながら、花さんは、「母に食べるなというのは、死ねというのと一緒だからね。ご飯を作るのは大変だけど、これだけ嬉しそうに食べられると、怒れないな」と困り顔をしながらも、嬉しそうに話していました。
私は菊さんから、言語だけがコミュニケーションツールではない、という大事なことを随分と学びました。

私がケアマネを担当して半年後には、花さんの介護生活はだんだんと安定してきました。食事形態も次第にミキサー食からひと口大にまで改善しました。
花さんもすっかり慣れて、菊さんの嚥下状態や体調に合わせた食形態の調整が可能となり、料理のレパートリーも増えました。栄養状態も順調に回復して、リハビリでは歩行訓練まで始まりました。

 ミキサー食から……(↓)

 

 ひと口大の食事に(献立イメージ)

胃ろうを選択せず
最期まで口から「食べる」ことを決断

しかし菊さんは、1年後の冬に再び入院しました。診断名は誤嚥性肺炎。
ある日、花さんから「病院担当医に呼ばれた。ケアマネも一緒に同席してほしい」と連絡がありました。医師からは「もう、何度も入退院を繰り返し、口から食べることは難しいです。誤嚥することで、肺炎になるだけではなく、窒息するかもしれません。このまま食べ続けることは、菊さんにとっても苦しいことだと思います。胃ろうで栄養をとる方法もあります」と。
その後、菊さんを見舞うと、ご飯が出ないと拗ねている姿がありました。
食べることが楽しみなのは病院職員の誰もが知るところであり、胃ろうを宣告する主治医も辛かったと思います。

それでも主治医は、何度も誤嚥や窒息のリスクをていねいに説明しました。花さんもそのことは十分にわかっていました。花さんは、胃ろうを拒否するという自分の判断が、もしかしたら母親のいのちを縮めるかもしれない、と悩みました。
そして決心しました。
「母の今の生きがいは食べることです。いま、母から食べることをとりあげるのは、死を意味することと同じです。食べることを取り上げる権利は、子どもの私にはありません。食べて死ぬか、食べずに死ぬかは、本人が決めることです。もしそれで亡くなったとしても、それが本人の人生です」と、胃ろうの選択はしませんでした。
花さんは覚悟し、同時にそれは、私たち在宅介護支援チームの覚悟となりました。

覚悟してから5年。菊さんのいのちについて、どう支援するか、花さんと在宅介護支援チームは壁にぶつかったときもありましたが、その際には何度も、原点である「菊さんは自宅にいたい、そして、口から食べたい」に立ち戻りました。時に、医療的エビデンスや第三者の正論が、菊さんや花さんの暮らしを混乱させることもありましたが、それに対しては支援チームで立ち向かいました。
その後私は、大学院へ行くためケアマネジャーを辞めたのですが、それからも菊さんを忘れることはありませんでした。

 

 

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著者近影
奥村 圭子(おくむら・けいこ)
杉浦医院地域ケアステーション「はらぺこスパイス」(栄養ケアステーション)室長
管理栄養士
ケアマネジャー

短大で栄養学を修め、食品会社の研究所に10年勤務。患者の血液分析などに携わった後「人と直接会って健康づくりのために役立ちたい」と、管理栄養士に。
病院、特別養護老人ホーム、デイサービス、有料老人ホーム、歯科クリニック、在宅医療、訪問介護の現場を経験し、「将来自分たちが高齢になったときに自分が暮らしたいと思う環境を自分たちでつくり、居場所をしたい」と思うようになり、医療や介護が届きにくい在宅での栄養支援に力を注ぐことを決意。ケアマネジャーの資格を取得する。
2012年より「在宅栄養支援の和・あいち」(現:在宅栄養支援の和)に参加。
2013年4月から名古屋学芸大学大学院(栄養学修士)。
2015年から三重大学大学院医学系研究科にて博士課程で研究。
2016年より杉浦医院地域ケアステーション「はらぺこスパイス」を拠点に在宅栄養支援や訪問栄養士の育成に取り組む。
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