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奥村 圭子(おくむら・けいこ)

最期まで「食べる楽しみ」を望んだ菊さんへの在宅介護支援(奥村圭子)#2

最期まで「望む暮らし」を全うした菊さんと
それを支え続けた娘・花さん、そして在宅介護支援チーム

そして、半年以上たってから、突然、花さんより電話がありました。
「今朝、母が亡くなりました。奥村さんには伝えたいと思って、迷惑かなと思ったけど、思い切って電話してしまいました」と。「最期の2日前までしっかり食べたんです」と聞いた瞬間に、私は、電話口で初めて泣きました。
ケアマネをしていて、自分の実力のなさ、無力さ、いのちの限界、医療の限界、制度の限界の前で怒り、泣きたい気持ちになることがたくさんありましたが、絶対に泣かないと決めていました。しかし、そのルールを破ってしまいました。5年間の食べる支援が走馬灯のように思い出され、自分のなかでの納得に結びついたからです。

胃ろうが妥当だと医師から宣言されたその日から、菊さんへの食の支援はきれい事ではありませんでした。いのちを支援することのむずかしさに触れ、何度ケアマネを辞めたいと思ったかしれません。それなのに、辛かったことを思い出そうとしても、菊さんの嬉しそうに食べる姿しか思い浮かばないのです。
5年前には寝たきりだった菊さんが、栄養状態が改善するほどに歩行訓練が進んだこと、ドライブまで行けるまで回復したこと、娘の花さんと仲良くケンカしながら食事しているところ、いのちの灯が消えそうになって何度も諦めそうになり、それでも復活して満足そうに食べる菊さんとの時間……そして、花さんや在宅介護支援チームと何度も喜怒哀楽を共有したことを、一気に思い出したのです。

「口から食べる」を考えることでいのちに向き合う

花さんは電話口で「『食べることは人生を楽しみ、生きることである。食べることを諦めてはいけない』母はそのことを、身をもってわたしに教えてくれました。母とはいろいろあったけど、思い残すことはありません。ありがとうございました」と、言われました。
私は、この事例を通じて、胃ろうを拒否した人に在宅介護支援チームが関わることで、口から食べ続けられた、ということを伝えたいわけではありません。
むしろ、口から食べることを考えることで、いのちに向き合い続けることを体験できた、ということを伝えたいのです。

もしあのとき、花さんが菊さんのために胃ろうを選択したとしても、在宅介護支援チームは花さんとともに、同じように菊さんのいのちにまっすぐに向き合い、支援を続けていったと思います。
栄養摂取の方法論が重要なのではなく、「望む暮らしのなかで、いかにして食べようか」と、生き方に向き合うことが重要なのだと思うのです。
本人の意思決定が難しい場合、家族が命の選択をすることもあります。家族も専門職の意見を取り入れながら、暮らしの状況を加味し考え抜いて、ネガティブな結論も承知のうえで、正解のない選択をしていきます。
これからも、ご本人やご家族がどんな選択をしてもよいように、「もしもの時」を想定し、望む暮らしに合わせられる知識や技術を持ち合わせるために、ふだんから力量を高める努力を続けたいと思っています。

栄養状態を全身から確認する

 

(次回に続きます。12月8日掲載予定)

 

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著者近影
奥村 圭子(おくむら・けいこ)
杉浦医院地域ケアステーション「はらぺこスパイス」(栄養ケアステーション)室長
管理栄養士
ケアマネジャー

短大で栄養学を修め、食品会社の研究所に10年勤務。患者の血液分析などに携わった後「人と直接会って健康づくりのために役立ちたい」と、管理栄養士に。
病院、特別養護老人ホーム、デイサービス、有料老人ホーム、歯科クリニック、在宅医療、訪問介護の現場を経験し、「将来自分たちが高齢になったときに自分が暮らしたいと思う環境を自分たちでつくり、居場所をしたい」と思うようになり、医療や介護が届きにくい在宅での栄養支援に力を注ぐことを決意。ケアマネジャーの資格を取得する。
2012年より「在宅栄養支援の和・あいち」(現:在宅栄養支援の和)に参加。
2013年4月から名古屋学芸大学大学院(栄養学修士)。
2015年から三重大学大学院医学系研究科にて博士課程で研究。
2016年より杉浦医院地域ケアステーション「はらぺこスパイス」を拠点に在宅栄養支援や訪問栄養士の育成に取り組む。
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