年金時代

香取 照幸(かとり てるゆき)/駐アゼルバイジャン日本国特命全権大使

第1回 Web版年金時代スタートに寄せて

アゼルバイジャン大統領に信任状を捧呈する筆者。

年金時代編集部からWeb版への連載依頼を受けた

昨年冬、長らくお世話になってきた「年金時代」の編集部の方から、新たにweb版としてスタートを切る同誌に連載を願いしたい、という依頼を受けました。

夏に晴れて厚生労働省を退官して、学生時代以来の自由の身を楽しんでいたところだったし、役人を辞めて気分もかなりユルんで(笑)きていたので、そうでなくても難しくて硬い年金の話を連載で書くなんて、私にはもう無理です、と一旦は丁重にご辞退申し上げました。編集部からは「お気持ちは解りますがそこを何とか」と重ねてお願いされましたが、「自信がないんでどうも、、」と(申し訳ないと思いつつ)ずっとお断りしていました。

そうこうしているうちに、いろいろあって「二度目の宮仕え」をすることとなってしまい、退官から半年ちょっとで日本を離れることになりました。

このまま「逃げ切られて(?)しまうのでは」と危機感(!)を覚えたらしい編集部の方は、「じゃあ、年金の話半分、任地のお話半分でもいいですから是非」と再々々度の依頼をして下さいました。

「あなたね、人間お願いされて何かができるうちが花なのよ。それに、お世話になった人にはちゃんとお返ししないといけないでしょう」という細君の厳しいアドバイス(?)もあり、赴任直前に「謹んでお引き受けします」とお返事を差し上げました。

アゼルバイジャンに赴任してから、さてタイトルをどうしようか、と考えました。皇居での認証式で陛下から官記を拝受して人事が公表された後、いろんな方から「アゼルバイジャンってどこにあるの?」「アゼルバイジャンってどんな国?」「産油国でバブリーなんですって?」「美人が多いってホント?」「007の舞台になったんですよね」「F1やるんだよね」などなど、いろんな質問をいただきました。実は私も打診を受けるまでアゼルバイジャンという国についてはほとんど何も知りませんでしたし、英語と少々のフランス語はできますがロシア語もトルコ語も(もちろんアゼルバイジャン語も)できないのになんで私が行くことになったのかも分かっていませんでした。

ことほど左様に、アゼルバイジャンは日本ではまだまだよく知られていない未知の国、ということのようです。

考えてみると、外務省職員として任地に臨むわけですから、任国のことを広く日本の人たちに知ってもらうことも大事な仕事の一つです。

そこで。連載のタイトルは「謎の新興国アゼルバイジャンから」にすることにしました。

任国アゼルバイジャンのお話と、年金や社会保障の話を二本立てで書き綴ります。関係のあることもあるでしょうし、そうでないこともあると思います。皆さんに関心を持ってもらえるように努力したいと思いますので、どうかよろしくお願いします。

なお、申し上げるまでもなく内容はすべて筆者個人の見解です。外務省とも厚労省とも在アゼルバイジャン日本大使館とも関係はありませんので、念のため。


アゼルバイジャン国旗の前で大統領と記念写真。

連載初回は任国アゼルバイジャンの話から

さて今回は最初の連載ですのでまずは任国アゼルバイジャンのお話をします。

とは言え、まだ着任して一月も経っていませんし、信任状捧呈(この者を日本国特命全権大使として任命し貴国に派遣するのでよろしくお願いする、という陛下から任国元首に宛てたお手紙―信任状、英語でcredential(letter of credence)と言います―を任国元首に直接手交する儀式)も終えたばかりの新米大使ですので、今回はホンのさわりだけで御容赦ください。

アゼルバイジャンはカスピ海の西、黒海とカスピ海の間にある「コーカサス(Caucasus)と呼ばれる地域にあります。世界地図を広げてもらうと解りますが、ここはちょうどヨーロッパとアジアの中継点になります。この辺りは古代から東西交通の要衝で、シルクロード(シルクロードというのは一本道ではなくいくつものサブルートがあり、時代によっても道筋が変わります)の通り道でもあったので、いろんな民族、いろんな文化、いろんな国家が行き交う場所でもありました。

例えば宗教を見ても、現在はイスラム教シーア派を信じる人が多いですが、古くはゾロアスター教があり、その後キリスト教が入り、その後イスラム化しました。紀元前1000年紀頃には古代国家が形成されていて(その時代の遺跡も残っているそうです)、その後アケメネス朝ペルシャの支配下に入り、アレクサンダー大王の東征でアケメネス朝が滅んだ後はしばらく群雄割拠時代があり、その後ササン朝ペルシャの支配、アラブの征服によるイスラム化、セルジューク朝トルコ、モンゴル帝国、サファヴィー朝ペルシャ(トルコ人(テュルク系民族)の王朝でした)の下でのシーア派国教化、そして近代のロシアの南進・支配とロシア革命による社会主義ソヴィエトへの編入など、実にめまぐるしい歴史をくぐり抜けて、1990年に現在のアゼルバイジャン共和国が誕生します。現在の共和国が誕生してまだ30年経っていません。

なので、ここはとても古くて、でもとても新しい国、というわけです。地続きの大陸で、何千年もの間東西南北からいろんな民族が行き交ったわけですから、アゼルバイジャン人といってもDNA的にはいろんな民族の血が長い歴史の中で幾重にも入り混じっています(この感覚は、民族と言語と文化(価値観・宗教)と居住地域がほぼ一致しているような日本人にはなかなか理解が難しいのですが、世界的に見れば日本のようなケースの方が例外です。)。

言葉はトルコ語に極めて近く(方言、位の感じらしいです。私はまだ勉強中で話せないので聞いた話です)、同じイスラムでもありますのでトルコへの親近感はとても強いですが、イラン人のような顔つきの人もいますし、目の青い人(イラン系・スラブ系)もかなりいます。中央アジアの人のようなモンゴル系の顔の人ももちろんいますし、どう見てもアルメニア系という人もいます。黒髪、茶髪、金髪、巻き毛、髪の色も色々ですし、体格も様々です。苗字(family name)を見ても、イラン系の名前もあるしロシア風の名前もあるし、ジョージア系、アルメニア系、いろんな名前があります。でも、それで、というか、それがアゼルバイジャン人ということです。

このあたりの国には珍しく(多分そうだと思いますが)、ここはアゼルバイジャン人が人口の90%を占めています。こういっても、上で話したようなことを聞いてしまうと、「じゃ、アゼルバイジャン人の定義って何なんだ?」と突っ込まれそうです。

確かに。でもそれは、ヨーロッパでも実は同じことが言えます。三代遡ったら曽祖父の生まれはドイツ、母方はオランダ人で自分はフランス生まれ、話している言葉はフランス語だけど英語もドイツ語もできます、で、私はフランス人、ルペンの支持者です(!)なんて人はいくらでもいます。

この辺の話はまた改めて。結構この話、深いですから(笑)。

信任状捧呈式後、別室で大統領と歓談。

現在のアゼルバイジャンは産油国として有名

さて、現代のアゼルバイジャンを有名にしているのは、何とっても「産油国」であるということでしょう。実は「石油のある国」としての歴史はかなり古く、すでに15世紀あたりの記録に石油の話は出てくるんだそうですが、「産業」としての石油採掘が行われるようになったのは19世紀になってからで、首都バクーの油田はテキサス油田と並んで近代石油産業発祥の地なんだそうです。20世紀前半には世界の石油の半分を産出していたこともあるとのこと。バクーには19世紀の「石油成金」たち(アゼルバイジャン人もいましたしヨーロッパ人もいました)が建てた豪奢な建物がたくさん残っています(なのでバクー中心地の町並みはとても「ヨーロッパ的」です)。

1990年の独立後、西側資本を導入して新たに取り組んだカスピ海の海底油田開発が成功し(ACG油田)、21世紀初頭の世界的な石油価格高騰の後押しもあって、アゼルバイジャンは年率20%を超えるような超高度経済成長を遂げます。街の姿は一新され、高層ビルが立ち並び、都市インフラが整備されて急速な近代化が進みます。一時は一人当たり国民所得が8,000ドル近くにまでなりました。

「第二のドバイ」とか「バブリー」と言われるのはこのおかげということです。

ところが一昨年・昨年と原油価格が急落し(1バレル100ドル超から一気に25ドルまで下落しました)、ほかの産油国同様アゼルバイジャン経済も大きな打撃を受けます。そのショックから立ち直るべく、「脱石油」の国作りを進めている、というのが今のアゼルバイジャン、というところでしょう。

では、紙面も尽きてきたので、第一回のお話はこの辺で。

 

 

 

香取 照幸(かとり てるゆき)/駐アゼルバイジャン日本国特命全権大使
東京都出身。1980年東京大学法学部卒業後、厚生省入省。年金局年金課課長補佐、埼玉県生活福祉部老人福祉課長、厚生省大臣官房政策課企画官(高齢者介護対策本部事務局次長)、厚生労働省政策統括官(社会保障担当)・内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)併任、年金局長、雇用均等・児童家庭局長などを経て2016年6月辞職。2017年3月より現職。
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