年金時代

香取 照幸(かとり てるゆき)/駐アゼルバイジャン日本国特命全権大使

第41回 解題『ちょっと気になる政策思想』(上)全ての経済学には「思想」がある 

政策思想としての経済学

私は、多くの経済学者たち、そして経済学を学び、実社会をよくするために経済学の知見を生かそうとする人々の善意、知的誠実さを疑いません。
多くの経済学者は、「万能の理論」を求めて研究を続け、様々な「科学的手法」―統計学や確率論、微積分や行列式などの数学的手法―を駆使して多くの「経済理論」を打ち立ててきました。
「明るい街灯の下で鍵を探す」のが経済学、と言われます。実際、経済学では、現実を抽象化したモデルを構築し、モデルを通じて理論を構築します。そうであるが故に、経済学者は、より精緻(fine)でより包括的(comprehensive)に現実を再現できるモデル作りに傾注してきたのでしょう。

そんな、「厳密な科学的手法に依拠した学問」とされる経済学ですが、では、それが真の社会「科学」たり得るのか、という話になると、今なお大議論があるようです。
何となれば、経済学の世界には、複数の、それこそ学者の数だけの異なった経済「理論」が「同時並行」で存在しているからです。

自然科学の世界で、学者の数だけ科学理論=真理が同時に併存するなどということはありません。新しい科学理論が生み出されれば、過去の理論は吸収されるか、乗り越えられていく(より包括的に事象を説明できる「新理論」によって過去の理論は包摂・再定義されるか否定される)からです。
宇宙の運動法則や物理法則について複数の理論が同時に併存することなんて、ないでしょう? まさに「科学の世界では真理は一つ」です。

なぜ経済学の世界では「異なる経済理論が同時並行で存在している」のでしょう?
現代社会は資本主義経済社会です。そして、市場と資本主義とは何か、いかなる性格を持っているのかを問いつづけてきたのが経済学という学問です。
本書の著者を含め多くの論者が指摘するように、経済理論というのは、要するところ「価値判断が一つの理論的体系にまとめられているもの」です。そして、その価値判断の出発点は個々の研究者の問題意識(=彼が追い求める「答」)です。
なので、価値判断―問題意識の数だけ「経済理論」が同時に存在しうるし、現に存在しているのです。

「科学」かどうかはともかく、学のあり方としてはそれはそれで結構なことだと思います。―それこそ「学説(商品)の競争を通じて学問(市場)を発展させる」ということですから。とはいえ、経済学を「実学」―世の中の役に立てるための学問、として考えると、話はそう簡単ではなくなります。

経済学は現実を理解し解釈する学問ですから、現に動いている経済を分析する(そして問題解決の道筋を導く)ツールでもあります。
そして、この「観察のツール=道具」としての経済学は、決して一つの体系を成しているわけではありません。様々な「流派」に分かれています。
故に、「どの経済学を手にして市場を眺めるか」によって、ものごとの見え方が違ってくる、見るところが違ってくる、ということが起きます。そしてその見え方は、観察のツールであるその経済学を主唱した経済学者の問題意識、価値観に規定されます。

なので、どの経済学(どのツール)に依拠してものを見るかで、その人の市場観、資本主義観も規定されることになります。
言い換えれば、全ての経済学派はみなそれぞれに「思想性」を持っているということであり、私たちはその「思想性」も一緒に経済学を学び、使っている、ということになるのです。

経済学とは、「思想性」を持つモノである。故に、あるツールを用いることそれ自体が、一定の思想性―価値判断―をあらかじめ持つ、知らず知らずのうちに、手段に過ぎないはずの経済学が人々の思想を支配する、ということになるということです。

このことをよくよく自覚すべき、と著者は言います。
「右側にせよ左側にせよ、経済学者の政策論は余裕を持って眺めるべし。一段高いところから俯瞰するような目線で見なさい」と。

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香取 照幸(かとり てるゆき)/駐アゼルバイジャン日本国特命全権大使
東京都出身。1980年東京大学法学部卒業後、厚生省入省。在フランスOECD事務局研究員、年金局年金課年金制度調整専門官、埼玉県生活福祉部老人福祉課長、厚生省大臣官房政策課企画官(高齢者介護対策本部事務局次長)、厚生労働省政策統括官(社会保障担当)・内閣官房内閣審議官(社会保障・税一体改革担当)併任、年金局長、雇用均等・児童家庭局長などを経て2016年6月辞職。2017年3月より現職。著書に『教養としての社会保障』(東洋経済新報社)
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