年金時代

香取 照幸(かとり てるゆき)/駐アゼルバイジャン日本国特命全権大使

第41回 解題『ちょっと気になる政策思想』(上)全ての経済学には「思想」がある 

経済学と政策の接点

さて、経済学の根底には思想がある、ということは、つまり、経済学は「政策思想」を内包しているということです。経済学の系譜はそのまま「政策思想―経済政策―の系譜」と言ってもいいのです。
そう考えると、経済学の別の側面が見えてきます。

そもそも経済学(マクロ経済学)という学問は、政策提言を行うことをその目的にしています(某有名私立大学の「マクロ経済学」のシラバスに、「マクロ経済学とは、問題意識に沿って現実を抽象化したモデルを構築し、それに基づいて「政策提言」を行う学問だ」と書いてありました!)。
申し上げたように、経済理論というものは、そもそも一定の「価値判断」を前提に理論的体系としてまとめたようなものです。逆から言えば、経済学とは、実際の経済政策を支える理論的・思想的根拠として機能する「使える学問」、ということです。
この「経済学と現実政治・政策選択との接点」こそが、経済学を「社会科学の王者―現代における万能の政策ツール」たらしめた所以でもあるのです。

経済学を「政策思想」として考えれば、「政策をつかさどる側」の政治家や官庁エコノミストにとって、経済学がいかに大きな意味を持っているか、ということに思いが至ります。

政策をつかさどる人たちは、自分が追い求める社会、実現したい目標のために政策を考えます。そのためには、自分の政策を基礎づけてくれる政策思想、価値観を共有し、方法論を提供してくれる理論的枠組み―ロジックが必要です。
なので、彼らは、自分の考えを支えてくれる経済理論を「学派」の中から選び取り、それを学び、身に纏い、武器にして政策を立案し、遂行します。

他方、そういう「政治の行動様式」を知る世のエコノミストたちは、自分の経済理論(とそれに基づいて構築した自分の「政策提言」)を世に問い、広め、それぞれ一生懸命に政治家に働きかけます。
その姿を評して、クルーグマンは「政策を売り歩く人々」と言いました。

こうして、政治と経済、政治家と経済学者の共生関係が生まれます。
経済学は政治の僕(しもべ)となり、政治は経済学派(学者)の「陣取りゲーム」の場となる。言ってみればそういうことです。

ここでちょっと余談。
経済学に限らず、研究者の戒めとして、「事実認識と価値判断(経済学で言えば「政策提言」)は峻別すべきもの」と言われます。
本書でも、「研究と政策の間にある長い距離」と題した、医療経済評価を巡る研究者たちの議論を紹介する章の中に、「実証分析(事実確認的分析)」と「規範分析」の違いについての解説があります。
そこには「政策提言を行うときは、その提言に含まれるあなたの分析とあなたの価値判断を区別して示しなさい」という言葉と、「政策とは分析と価値判断の両方に基づいて決められるもの」であって、「きちんと(実証的に)論証されればその経済研究はそのまま政策化される」などと考えてはいけない」という戒めが明確に記されています。

しかしながら、そもそも経済学とは一定の「価値判断」をはじめから内包していて、「目的志向的」に学の体系をそれぞれの学者が作っていて、かつ、そのことがいわば「経済学の社会的効用」にもなっている、そういう学問です。
そうなると、世に言うエコノミスト(学者だけではなく、アナリストだのストラテジストだの評論家だの、およそ全ての「経済で物事を語る人々」)に、厳密な意味で両者を区別して議論せよ、と求めるのは土台無理な話なのかもしれません。

とはいえ、エコノミストの心構え、戒めとしては、この両者を意図的にせよ無意識にせよ区別せず、「経済学的に言えばこれは○○ということである」などと断定的に言うことは控えるべきでしょう。
逆に言えば、エコノミストの言説を拝聴する側の心構えとして、無前提にこういうことを言ったり書いたりするエコノミストの発言は要注意だ、ってことです。(続)

香取 照幸(かとり てるゆき)/駐アゼルバイジャン日本国特命全権大使
東京都出身。1980年東京大学法学部卒業後、厚生省入省。在フランスOECD事務局研究員、年金局年金課年金制度調整専門官、埼玉県生活福祉部老人福祉課長、厚生省大臣官房政策課企画官(高齢者介護対策本部事務局次長)、厚生労働省政策統括官(社会保障担当)・内閣官房内閣審議官(社会保障・税一体改革担当)併任、年金局長、雇用均等・児童家庭局長などを経て2016年6月辞職。2017年3月より現職。著書に『教養としての社会保障』(東洋経済新報社)
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