年金時代

経産省若手役人の提言「不安な個人、立ちすくむ国家」を読んでみた

Web年金時代の連載企画「謎の新興国アゼルバイジャンから」の筆者・香取照幸さんから、連載第2回目の原稿(第2回目は6月中旬に掲載予定です。)よりも先に、こちらの原稿が編集部に届きました。5月18日に開催された経済産業省の産業構造審議会第20回総会に提出された資料『不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~』(平成29年5月 次官・若手プロジェクト)についての論評です。

香取 照幸(かとり・てるゆき)/駐アゼルバイジャン日本国特命全権大使

日本の友人からコメントを求められ…

何人かの日本の友人から、最近日本でネットを中心に話題になっているという経産省の若手の方々がとりまとめた報告書についてのコメントを求められました。

恥ずかしながらその報告書のことは知らなかったので、早速経産省のホームページに行き、「不安な個人、立ちすくむ国家」という件の資料を読みました。

五神真東大総長や松岡正剛編集工学研究所所長をはじめ、大沢真幸元京大教授、田中優子法大学長、藤原帰一東大教授(私の中高の同級生です)など、産業界のみならず幅広い分野の有識者と積極的な意見交換・ヒアリングを重ねてこれだけの報告書をとりまとめた経産省若手諸君の熱意と、それを支援した次官以下省幹部の見識は大いに評価されるべきです。

厚生労働省はじめ霞ヶ関の各省も是非見習ってほしいです。

加えて、いつもながら経産省諸兄の「発信力」「プレゼンテーション能力」の高さにも改めて感心しました。

「報告書」といわれていますが、公表されているものは長々しい文章ではなくパワポのプレゼン資料、そのパワポ資料の完成度、わかりやすさ、随所にちりばめられたキャッチフレーズなど、いずれも「人に読んでもらう」「関心を持ってもらう」ことを明確に意識した実に卓越した構成になっていますし、加えて、こういったテクニカルな点(もちろんそれはとても重要なことです)もさることながら、これを経産省の基幹審議会である「産業構造審議会」の「総会資料(公式資料)」として、しかもまずHPで―つまりネットで―公表し、FBやブログで拡散させていく、というのもなかなかの戦略です。

現状をわかりやすく整理、大方の共感を呼ぶでしょう

その上で、内容についての私の感想を少しお話ししておきたいと思います。

まず、グローバルレベルでの政治・経済・社会の大きな変動、日本社会に広がる不安、政府の機能不全、その背景にある少子高齢化の進行、といった現状分析については非常にわかりやすくよく整理してありますし、同意する部分がとても多かったです。

実はこういったことはこれまで多くの識者がすでに指摘してきているところですし、高度成長期モデルである現在の社会経済システムを抜本的に見直さなければならない、ということも多くの識者が指摘しています。政府の各種報告などでも述べられています。

さらにいえば、高齢者中心から全世代型(=若者支援の強化)の社会保障へ、とか少子化対策(こどもへの投資)の重要性、といったことはそれこそもう10年以上前から厚生労働省が繰り返し訴えてきたことでもあります。

(この辺は両省の「発信力の差」「プレゼン能力の差」ってことでしょうか(笑)。厚労省の諸兄は大いに反省(!)して考えてください)。

その意味では、これまでの世の中の議論の流れを改めて整理しただけで新味に欠ける、という批判がありそうに思いますが、それにしても「きちんと整理してわかりやすく提示する」ことはとても重要で、かつ語られている議論の大筋は説得的で首肯できる部分がとても多いので大方の共感を呼ぶだろう、というのが一読した後の最初の私の感想です。

体系的な課題整理にふさわしい体系的かつ具体的な政策選択を示すべき

次に、具体的記述―提言―にわたることについての感想を述べたいと思います。

私も(元?)役人なので、「役人が発信するものとはいかにあるべきか」、という視点からコメントします。ちょっと厳しいコメントになってしまいますがお許しください。

このプレゼン資料では、最後の「われわれはどうすれば良いか」という部分で、「高齢者を支える側に」「こどもに投資を」そして「公への個人の関与の重要性」という3点を挙げ、それらについての提言を述べています。

これらの提言の方向性それ自体については大筋で理解できる(understandable)ように思いますが、前段で展開した様々な問題分析、課題提起に対する処方箋、つまりこの希有壮大なプレゼンの「起承転結」の「結」としては、やや貧弱(というか答えになっていない)のように思いました。

これだけしっかり体系的な課題整理をしたのですから、霞ヶ関の役人たる者、それを踏まえた(「広げた風呂敷」にふさわしい)体系的かつ具体的(それこそcomprehensive and coherent)な処方箋(政策選択)を示すべきなのではないかと思います。

それが「役人の矜持」というもの、というのが私の考えです。

体系的かつ具体的、という意味は、延命医療がどうとか胃瘻が云々とか、どこぞの村の公共事業がこうだ、といった意味での「現象面での各論」や、よくある「言いっ放しの政策提言」のようなものを言うのではありません。課題分析を踏まえた「施策の枠組み・体系」の全体像を示し、それに沿った具体的な政策選択の方向性を示す(ないしは選択肢の提示をする)、という意味です。

資料では「年齢に縛られない社会保障」からスタートする社会モデル構築の図を示していますが、少子高齢社会の提起する問題は社会保障に収斂するものではありません。はるかに大きな社会経済構造全体の下部構造に関わるものです。

そのことは前段の記述から著者たちも十分認識していると思えるのですが、前段の展開の大きさに比してこのモデルの論理展開はバランスがとれていません。射程が狭すぎるように思えます。

目指すべき社会モデルというからには、もっと大きなプラットホームで描くべきではないでしょうか。

たとえば、せっかく「インターネットは個人の選択を支えるものだが、 個人の判断や行動が誰かに操作されるリスクも当然に内包する。その結果、社会全体としての意思決定が極端なものとなる可能性もある。我々はそれに対して何ができるのか考える時期に来ているのではないか。」とまで指摘しておいて、その「結」部分が専門家のネット情報評価と交流サイトによるブロッキング、というのはどうなのでしょうか。

ITが様々な「参画の契機」を創造する可能性があることは事実だし、その活用はそれこそ「個人の公への参画」にとって決定的に重要です。まさに社会を根本から変革できる可能性を秘めたものです。

今、世界はまさに「自由と民主主義」への挑戦のただ中にあります。寛容と多様性、ある種の忍耐力が問われている一方で、フェイクニュース、ネットの暴走が人々の分断と憎悪を増幅する民主主義の大きな脅威になっているのも事実です。

このこと一つを取ってみても、IT社会の将来について語るべきことはもっとあるように思います。

経産省の若手役人として政策提言すべきことがある

加えて、「具体的な政策選択の方向性」という文脈でいえば、社会保障政策や教育政策、地域政策といった著者たちにとって「専門外の政策」についてのコメントの前に、経産省の本来ミッションである「国富の増大」「産業経済の発展」、すなわち産業政策や成長戦略のあり方について、自らの状況分析・課題整理を踏まえた、それこそ「具体的で実現性のある」政策提言、より実効ある処方箋が提示されてしかるべきだし、それこそ「経産省若手諸君の報告」に求められることなのではないかと思いました。

資料が指摘する「既に人々の価値観は変化しつつあるにもかかわらず、 過去の仕組みに引きずられた既得権や固定観念が改革を阻んでいる」「『シルバー民主主義』を背景に大胆な改革は困難と思い込み、誰もが本質的な課題から逃げている」、つまり、世の中の変化について行けない「旧態依然とした何か」が改革を阻んでいる、といった事態は、一般社会や霞ヶ関界隈のみならず産業界や財界にも大いにはびこっているのではないでしょうか? 企業の意思決定システムや経営者の思考回路に「高度成長時代の残滓」はないのでしょうか?

経済財政諮問会議や規制改革会議、産業競争力会議など多くの会議の運営に参画してきた私の経験で言えば、「自分を(会社を)変えることのできない、過去の成功体験に絡めとられている経営トップ」「うまくいかないことを政策や世の中のせいにする財界人」は、残念ながら少なからずおられたように思います。

そう。まさに「国家」そのものが立ちすくんでいるのです。

歴代政権が繰り返し「成長戦略」を策定し様々な施策に取り組んでいるのに、なぜ我が国の経済は再生しないのでしょうか? この国のエネルギー政策をみなさんはどう考えているのですか? 我が国企業の国際競争力がここまで低下したのは何故なのでしょうか? なぜサンヨーはハイアールに、シャープは鴻海に買われる羽目になったのでしょう? 東芝はどうしてあんなことになったのでしょう? 政府の政策のせいですか? 少子高齢化のせいですか? グローバル経済のせいですか? 時代に合わせて自分たちで自らを変える努力は十分できてきたのでしょうか? 少子高齢社会を乗り切るために、個人もさることながら、産業界・企業がすべきこと、できることはないのでしょうか?

大事なことは具体的な選択肢を示し、主体的な行動変容に結びつけること

「変わらないでいるためには、変わらなければならない」(「山猫」ランペドゥサ)。これは全ての社会の構成員にとって等しく問われる課題だと私は思います。

プレゼン資料でも言っているように、我々自身が自らを変えていくことができるかどうか、それが今問われていることです。誰かのせいにするのではなく、自らが行動し変えていくこと、その道筋が大事なのではないでしょうか。自らが変わらなければ、社会やそれを支えるシステムを変えることはできません。

大きな俯瞰図を描いて「大状況」から説きおこすことはもちろん大事ですが、そこから具体的な施策、要すれば国民(個人も企業も、そして政府も)一人一人の行動変容に結びつけていくような説得力のある「落とし込み」があって初めて、世の中を動かす力となりうるのではないかと思います。

役人は学者でも評論家でもありません。自ら実践し、行動し結果を出すことでその存在証明を行うのが役人の本分だと私は考えます。

誤解のないように申し上げますが、今回の経産省の若手諸兄の試みを私は高く評価しています。彼らなりの危機感・問題意識の高さの表れですし、彼らの将来に大いに期待しています。きっとこの国を変えてくれるものと信じています。

是非同様の発信・実践を霞ヶ関のほかの省の若者たちや大企業の若手幹部、若手企業経営者の諸兄がすることで、世の中が変わっていくことを大いに期待しています。

繰り返しになりますが、大事なことは、具体的な処方箋、選択肢を示して議論に供すること、それを自らの、そして人々の主体的な「行動変容」に結びつけること、というのが私の考えです。

そこまでいうんだったら、おまえ自身はそれをちゃんと実践しているのだろうね、という突っ込みは当然覚悟しております。

恥ずかしながら、5月中旬、『教養としての社会保障』という本を上梓しました。今回の経産省若手諸兄の問題提起と極めて近い(本当に近いです)観点から、経済と社会保障、成長と安心を実現するために社会保障をいかに改革すべきか、といったことについて私なりの考えを整理しました。

ご用とお急ぎのない方は、ご一読ください。

乞うご批判。積極的で建設的な議論を大いに展開したいと思います。

 

■香取照幸さんの連載企画

 

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