年金時代

対談 日本年金機構10年のあゆみを振り返るー模索と基盤づくり、そして再生への途ー

設立の準備と基本計画
政権交代を経て発足へ

山崎 そして設立準備の話ですが。私も日本年金機構設立委員会で委員を務めましたが、そこで特にポイントになったことはどういったことだったのでしょうか。

薄井 設立委員会は、たしか平成20年の秋くらいから始まりました。その前に内閣で、先ほど申し上げた年金業務・組織再生会議でかなりの議論がありました。そこで指摘されたのは、やはりガバナンスを確立することとか、厚生労働省からの出向者、社会保険庁本庁の職員、それから地方で採用された職員のいわゆる三層構造の問題でした。これを一掃してやらなければいけないということです。そこから、職員については原則全国異動とするとか、あるいは業務はできるだけ外部委託をするということでした。したがって、必要人員数もそれに見合ってかなりスリムな体制でいくということがまず決まっていたわけです。その骨格が決まったうえで設立準備に入りました。法律上は設立委員ということですが、設立委員会をつくって、トヨタ自動車の取締役相談役の奥田碩さんに委員長をお願いしました。山崎先生も委員でいらっしゃいました。
設立委員は、法律上は、たしか年金機構の職員の労働条件や採用の基準をつくって職員を採用する、業務方法書などを作成するとされていましたが、年金機構のあらゆる体制について議論が行われて準備に入っていきました。
委員会がそうやって動いている一方で、私は、社会保険庁の側の設立準備事務局としていろいろな事務的なところの整理をしました。たしか40人くらいスタッフがいたと思いますが、委員会にお示しするものを用意したりしながら1年半準備をしたように記憶しています。

山崎 私は委員会の中身の記憶はあまりないのですが、印象としては、社会保険庁時代の職員をどうするか、分限処分という非常に難しい話があったことを覚えています。しかも民間からも積極的な採用をしようということでしたね。

薄井 年金機構の体制というのは、基本計画ではたしか1万880人が正規職員ということになっていたと思います。そのうち1000人を外部から採用するということになっていました。厚生労働省、協会けんぽに何人か行きましたけれど、残った職員全員が年金機構に採用されるわけではありませんでした。正規に採用される人、正規ではないけれども有期雇用として採用される人というように、社会保険庁長官が設立委員会に出した希望者のリストをもとに、審査のうえで採否が決定されました。採用審査会というのが別につくられて審査をし、設立委員会で決定したということです。
社会保険庁の立場から言うと、やはり年金機構に採用されない人、地方厚生局あるいは本省の年金局とか厚生労働省のほうに移行する職員もいるわけですが、そうでない人たちについては、最終的に分限免職ということもあり得るので、できるだけそれをしないで済むように、分限免職回避の努力というのは当時の社会保険庁の仕事としてありました。
設立委員会では、たしかに社会保険庁に対して非常に厳しいご意見の方もたくさんいらっしゃいましたが、年金業務をきちんとやる、新しい組織はきちんとした体制でやらなければいけない、信頼回復できる組織にしていくという気持ちは、多分皆さんご一緒だったと思います。

山崎 メディアの世界で厳しく追及された方々も、同じ船に乗って設立委員として議論しましたが、おっしゃるように良いものをつくりたいという思いはまったく一緒だったと思います。お客様十か条も、そういった委員の方々から提案があってできたものです。アニュアルレポートもそうですね。今日に生きているわけです。

薄井 最初に設立委員会で議論されたのは職員の募集、その前提としての労働条件を決めるというところから入っていかれたわけです。けれども、民間からも含めて、ある程度そういう職員の募集が進んできた段階で、政権交代がありました。

山崎 もし政権交代の時期がもうちょっと早かったら、たとえば半年とか、1年早かったら、社会保険庁の廃止が先送りされ、別の組織になっていたかもしれないです。その意味では、長妻昭厚生労働大臣も本当に苦渋の決断だったでしょうね。日本年金機構という自民党政権下で用意されてきた路線に、最終的なゴーサインを出すかどうか。民主党は歳入庁構想を打ち出していました。歳入庁構想なら公務員ですね。時間的な余裕がないなかで、歳入庁構想を棚上げして、年金機構をスタートさせざるを得ないという、長妻大臣もギリギリのところで決断せざるを得なかったのでしょうね。

薄井 長妻大臣は、たしか平成21年10月の設立委員会の場で、熟慮の末、年金機構を発足させる決断をしたと、熟慮の末という言葉を使っておられました。
その後、年金機構の中期目標とか中期計画、これは正式には年金機構ができてからですけれど、準備は設立委員会の最後の頃になされていたかと思います。先ほどお話があったように、アニュアルレポートの議論であるとか、お客様へのお約束十か条などは、やはりそこから出てきたものだったと思います。
そのなかで、理事予定者による打合せ会議が、12月に2回ほど開かれました。そして平成22年1月1日に発足しました。
とはいえ、1月1日から3日は休みですから、幹部職員には1月3日に出勤してもらって最後の打合せをしました。1月4日の月曜日に高井戸の年金機構本部に厚生労働大臣に来ていただいて、新しい組織をきちんとやっていこう、厳しいけれども頑張れという叱咤激励を受けてスタートしたわけです。
スタートが月曜日だったのですが、月曜日というと年金事務所は相談時間延長があります。この日から民間組織ですから、職員が残業するためには三六協定を結ばなければいけません。三六協定は各事業所単位で結ばなければいけないため、その日はまずそれを済ませることが最初の年金事務所長の仕事でした。1月4日の勤務時間内に労働基準監督署への届出が終わりました。次の問題はやはり1月15日の、年金機構になって最初の年金の支払いでした。2月15日には定期の支払いもあるので、2月15日の定期の支払いが終わるまでは、本当に滞りなく業務の移行ができるかという点で非常に気配りをしました。
基本計画では、職員は正規が1万880人、有期雇用が7000人くらい、あわせて1万7830人でスタートすることになっていました。ただ、記録問題も含めて基本計画で想定していない仕事については、この枠を外れることも認められていて、たしかピーク時の平成22年から23年頃には、有期雇用職員が1万5000人、正規職員と合計で2万6000人くらいの職員がいたと思います。コンピューターとか、いろいろな仕事の道具というのはそんな大勢の分を想定してなかったため、最初の頃はどう手分けして使うか、大変だった記憶があります。
また、社会保険庁は国の機関でしたから住民票などを市町村に請求するときに公用請求という形でできましたが、年金機構になって最初の頃は、そもそもどういう形でやるのか。いままでは公務員の身分証明書を見せればよかったけれど、市町村によってはもう少し証明書類を持ってこないと渡せないと言われたりもしました。
それから、年金機構のコンセプトとして、基本的には年金の運営責任は厚生労働大臣が最終的に負うということで、その事務の一部を委任あるいは委託という形で年金機構にやらせるわけです。その際、保険料の滞納処分などは、厚生労働大臣(地方厚生局)の認可を受けてやることになっています。これも軌道に乗るまではなかなかスムーズにはいかず、地方厚生局サイド、年金局も交えて、どういうのが業務フローとして一番効率的に流れるか、という議論をしました。

山崎 それから市場化テストですね。非常に大きなウェイトを占めることになると思いますが。

薄井 国民年金の市場化テストは社会保険庁の最後の頃から、本格実施ということになってきたわけです。市場化テストというのは、民間の活力を利用することと、単なる業務の委託ではなくて役所と競争するというコンセプトです。そのために、最初の頃は市場化テスト事業者にはできるだけ自由にやらせようという感覚がありました。しかし、それでは実際うまくいきませんでした。そこを軌道に乗せないと仕事が動きませんから、最初の頃、内閣府の事務局長とも議論した記憶があります。

表 日本年金機構をめぐる動き
○平成12(2000)年 地方事務官制度の廃止。
○平成16(2004)年 年金制度改正(マクロ経済スライド調整の導入など)。民間から村瀬清司氏が社会保険庁長官に就任。
○平成18(2006)年 国民年金保険料の不適正免除問題。年金記録問題について衆議院で予備的調査開始。
○平成19(2007)年 年金記録問題が社会問題化。日本年金機構法成立。
○平成20(2008)年 「日本年金機構の当面の業務運営に関する基本計画」閣議決定。日本年金機構設立委員会(平成21年12月まで)。
○平成21(2009)年 民主党へ政権交代(9月)。
○平成22(2010)年 日本年金機構設立・業務開始。
○平成23(2011)年 第3号不整合問題。東日本大震災発生。
○平成26(2014)年 第1期中期計画期間終了。第2期中期計画期間開始。
○平成27(2015)年 不正アクセスによる情報流出問題発生。厚生労働大臣より業務改善命令。「日本年金機構再生プロジェクト」。
○平成30(2018)年 平成27年度の国民年金保険料最終納付率73.1%。業務委託をめぐる問題発生。厚生労働大臣より業務改善命令。
○平成31(2019)年 第2期中期計画終了。第3期中期計画開始。

 

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